プロレスのミドコロ

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飯塚高史 引退記念試合に思いを馳せる

2.21飯塚高史引退試合を、改めて見返してみました。

最近はまともに試合をすることなく、アイアンフィンガー・フロム・ヘルという鋼鉄製の手甲で相手選手の喉を突いて、反則負けになるのが大体のパターン。

いわゆるヒール(悪役)レスラーです。

しかし引退試合では、観客のほとんどが「大・飯塚コール」で引退を惜しんでいました。

 飯塚選手は、昔からヒールだったのではなく、むしろ正義感の塊のような選手でした。

派手さはなくまじめが取り柄。でも技術はしっかりしたものがあり、若手選手や外敵(他団体から挑戦してくる選手)の大きな壁となる存在でした。

一方で、シングルのチャンピオンになれるチャンスはほとんどなく、なかなか結果は出せない、とても悪く言うと、先輩には勝てず後輩には追い越され、前座で戦っていることが多い中堅レスラーでした。

天山選手の涙の理由

引退試合で、対戦相手の天山選手は泣いていました。
それは、以前に二人で「友情タッグ」を結成していたからです。
なぜ友情タッグなのか?

 

始まりは、天山選手が所属していたGBHというヒールユニットから追い出され袋叩きにあっていた時、飯塚選手が助けに入りました。

その後二人はタッグを組むことになり、ほとんどの試合がGBHとの戦いでした。GBHはヒールなのでパイプ椅子を持ち出して攻撃してきます。

普通なら、パイプ椅子を持って攻撃しようとしている相手選手の邪魔をして防ぐのですが、この二人は攻撃を受けそうな味方に覆いかぶさり、代わりに自分がパイプ椅子攻撃を喰らって守りあう、という行動をお互いにしていました。

そんな二人の想い合いをから「友情タッグ」という名称が誕生しました。

衝撃的なヒールターン

その当時、GBHの真壁選手・矢野選手がIWGPヘビー級タッグ選手権のベルトを持っていました。そのベルトに天山選手・飯塚選手の「友情タッグ」挑戦することになりました。

最近新日本プロレスから公開された映像で、真壁選手が密かに飯塚選手と連絡を取り、揺さぶりをかけていたことを話してくれています。「ずっとそんな中堅レスラーでいいのか」といった内容で、飯塚選手に変化を求めていたそうです。

試合が始まると、相手チームの反則もあり、天山選手がやられてしまう時間が多くなりました。やっとの思いで反撃し、「これでタッチできる」と飯塚選手の延ばす手に届きそうになったところで、飯塚選手がタッチを拒否しリングを降りてしまいます。

さらに真壁選手に天山選手の技が決まり「これから」というところに背後から忍び寄り、「魔性のスリーパー」を天山選手に決めてしまいました。

試合は当然、真壁選手・矢野選手のチームが勝利し、飯塚選手は天山選手を踏みつけ、さらにパイプ椅子で追い打ちをかけます。

まじめ一辺倒なレスラーが、はじめて観客を大きく裏切った瞬間でした。

怨念坊主の誕生

 それまでの飯塚選手は、端正なマスクで短髪。

しかし裏切りの後に姿を現した時には、髪はすべて剃り上げ髭面。その後だんだんと顎髭も伸びていき、街であったら絶対に目を逸らしてしまうような風貌に変化していきました。

そして全くコメントを発さないようになります。

そんな姿は、いつからか「怨念坊主」と呼ばれるようになりました。

戦い方は、それまでの「しっかりした技術から的確な技を繰り出していくスタイル」は消え去り、「ストンピング」「噛み付き」「場外乱闘」「アイアンフィンガー・フロム・ヘル」と技は少なくなり反則が多くなりました。

当時の試合を見ているときは「なんでそんなことばっかり」と思っていましたし、特にG1クライマックスなどの公式戦が反則で終わってしまうと、なんだかやるせない気持ちになったのを覚えています。

でも今、飯塚選手だけにスポットを当てると、正統派時代よりヒールになってからの方が、試合の組み立てがわかりやすく、ちゃんとカラー(選手の特徴)を確立させることができていた気がします。

ヒールターン後もシングルのチャンピオンシップに絡んでくることはなかったけど、ヒールという特徴を武器に、意味のある試合を多く行うことができたのでは、と感じています。

引退に際して

飯塚選手の引退試合が発表されると、天山選手は「もう一度友情タッグを」と飯塚選手に呼びかけ始めました。

引退試合は、天山選手がムーンサルトプレスで飯塚選手から直接フォールを奪いました。勝利した天山選手は、観客に「飯塚コール」をあおり、最後くらい元に戻ってくれ、と飯塚選手に呼びかけます。

飯塚選手は迷っているようなしぐさを見せた後、ついに天山選手と握手・・・と思いきや、次の瞬間天山選手の頭に噛みつき、最後はアイアンフィンガー・フロム・ヘルでKO!

結局一言も発することなく、引退していきました。

 

まじめだから、一度決めたことはやり通すべきだから、ヒールのままの引退を選んだのだと思います。

正統派レスラーであれば、リングの上からマイクで観客に挨拶、これまで関わってきたたくさんのレスラーに囲まれ花束を抱えながら引退。

そんな最後を迎えたい気持ちを押し殺して、最後まで美学を貫き通したのではないか、そんな風に感じました。

その引退の在り方を支えた「新日本プロレス」の懐の深さも感じたし、何より観客が最後まで「飯塚高史」というプロレスラーを楽しんでいたことに、飯塚選手の存在意義が凝縮されていた気がします。

 

引退試合の中で、オカダ・カズチカ選手に決めた「ビクトル式膝十字」。

技の入り方、決まり具合、最高でした!!

本当にお疲れさまでした。