プロレスのミドコロ

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ケニーオメガと飯伏幸太 それぞれの選択

「GOLDEN LOVERS」

ケニーオメガ選手と飯伏幸太選手が組んでいた、タッグチームの名前です。

世界的な人気がありました。

 

平成31年1月末でケニー選手と新日本プロレスの契約が満了。ケニー選手は新天地として、アメリカで新しく創設された団体「AEW」を選択しました。

一方、飯伏選手は1.4東京ドーム大会で脳震盪を起こし、しばらく表舞台に現れませんでした。飯伏選手からの発信がない中「ケニー選手に追随する形で「AEW」に行くのでは」と噂されていましたが、2.11の大会に久々に顔を見せ「新日本残留」を宣言しました。

2人は別々の道を歩むことになります。

 2人の歴史

 ケニー選手と飯伏選手は、元々は「DDT」という日本のインディー団体で活躍していました。そのころからインディー団体の選手とは思えないほどの強さで、メジャー団体のタッグベルトを巻くなど実績も申し分なく、またそのルックスからかなりの人気がありました。

先に新日本プロレスに参戦して活躍し始めたのは、飯伏選手の方でした。

体格的にはジュニア(100㎏未満)でしたが、ヘビー級(100㎏以上)の選手と互角以上にわたりあい、派手な空中殺法と時折見せる「キレた」表情から繰り出す破天荒な攻撃で、すぐに中心的な選手となりました。

遅れてケニー選手が新日本プロレスに移籍してきます。

すぐに飯伏選手との再合体を望むファンも多かったのですが、ケニー選手は「BULLET CLUB」というヒールユニットに加入しまったため、ユニットが違う飯伏選手と組むことはありませんでした。

「GOLDEN LOVERS」再結成

ケニー選手は新日本プロレス移籍当初はジュニアとして活躍していましたが、その後ヘビー級に転向。

G1クライマックス」という、夏のリーグ戦を外国人選手として初制覇すると、「BULLET CLUB」のなかでもリーダー的な存在となり、オカダ・カズチカ選手や内藤哲也選手らと素晴らしい戦いを見せてくれました。

このころからケニー選手は「自分がベストなレスラーである」「俺が新日本プロレスを世界一の団体にしてやる」といった発言を多くするようになりました。

しかし、ケニー選手がリーダーであることをよく思わないメンバーと不穏な雰囲気となり、ついには裏切られてしまいます。

そこに駆け付けたのが飯伏選手。ケニー選手も戸惑いはあったようですが、結局は飯伏選手と抱き合い、2人の絆が再確認されました。

2人は「GOLDEN LOVERS」としてタッグを組んで戦うことが多くなりますが、約1年ほどでその活動を終えることになります。

ケニーの望むプロレス

今年の1.4東京ドーム大会。

昨年オカダ・カズチカ選手を破り、IWGPヘビー級チャンピオンとなったケニー選手は、棚橋弘至選手をチャレンジャーに迎え戦いました。

結果、棚橋選手に敗れ、チャンピオンの座を失ってしまいました。

これ以降、ケニー選手が新日本のリングで試合をすることはなく、「棚橋が中心の新日本プロレスでやれることが見つからない」といったコメントが出されたこと、ケニー選手と仲の良い選手たちが「AEW」の立ち上げに関わっていたことから「AEW」行きが噂されるようになり、2月に入るとケニー選手自ら発表、という形になりました。

 

その後のケニー選手の発言から読み取れることは、

「本気で新日本プロレスを世界一の団体にしようと思っていたんだな」ということ。

新日本プロレスの価値を高めるため、自らのアイデアを会社側に進言していたようです。「女子選手の試合を組み込むべき」など、ケニー選手が思う世界で通用する団体の在り方を模索していたようです。

しかし、新日本プロレスとしても取り入れられる意見とできない意見があり、女子選手の試合は反対されたようです。

この辺りは日本人的な考え方とアメリカのショービジネス的な考え方の違いのような気がします。どっちが良い悪いではなく。

 

私が思う違い。

ケニー選手は、IWGPヘビー級チャンピオンだった際に、「BULLET CLUB」のメンバーであるCody選手と盟友の飯伏選手と3人での3wayマッチでチャンピオンシップを行いました。

お互いに仲間なのに、机を持ち出した攻撃をする。お互い仲間だから攻撃する際に躊躇し、攻撃後に謝るようなしぐさを見せる、そんな試合展開でした。

正直、あまり感情移入できる試合ではなかったし、観客の反応もいまいちだった気がします。おそらくケニー選手はそのあたりも敏感に感じ取っていたのではないでしょうか。

自分が本当にやりたいプロレス ≠ 日本人受けするプロレス

 

いずれにせよ、ケニー選手が日本のプロレス団体で残してきた功績は、とても大きく私たちファンを感動させてくれました。

「AEW」との契約は新日本プロレスにも参戦できる契約である、と明言しています。またいつの日か、新本プロレスでケニー選手の試合が見れるかもしれません。

まずは「AEW」での活躍を期待しています。

飯伏幸太の挑戦

飯伏選手は「AEW」について「行こうとは思わなかった」とインタビューで語っています。実際に契約交渉があったことを認め、かなりの金額の条件提示があったようです。

盟友ケニー選手が移籍することは事前にわかっていたでしょう。それでも新日本プロレスに残る選択をしました。

飯伏選手の選択を後押しした理由の予測として

①棚橋選手との関係

 飯伏選手は棚橋選手のことを「神」と呼び尊敬しています。棚橋選手も飯伏選手のことを認める発言を随所でしており、新日本プロレスだけでなくプロレス界全体を背負って立つレスラーになれると評しています。その棚橋選手の言葉が飯伏選手に響いていたのではないでしょうか

②飯伏選手も日本人

 飯伏選手は以前、アメリカにある世界最大のプロレス団体「WWE」にスポット参戦し、トーナメントで準優勝しています。その際もおそらくオファーがあったはずです。しかし飯伏選手は日本で戦うことを選びました。ケニー選手がやりたいプロレスが日本では表現しきれなかったように、飯伏選手がやりたいプロレスは日本で表現したいプロレスなのではないでしょうか

③ケニー選手との比較

 DDT時代、両者の力量を比較すると飯伏選手の方が上で、ケニー選手がその背中を追いかける、という状況でした。しかし新日本プロレスではケニー選手が団体最高峰のベルトを巻き、飯伏選手はまだ巻いていません。もう一度ケニー選手と対等になり、ケニー選手を上回るために、新日本プロレスで成し遂げなければならないことがある、と判断したのではないでしょうか

 

3月8日(金)から始まる新日本プロレス春の祭典「NEW JAPAN CUP」。優勝者にはIWGPヘビー級の挑戦権が与えられます。

飯伏選手もエントリーしており、この大会が脳震盪からの復帰初戦となります。

自分の選択が正しかったことを証明する絶好の機会です。飯伏選手の挑戦に注目です。